国際化が進むにつれ、国内でも多くの外国人を目にする機会が増えている。
何も不思議な事ではないが、言語や文化の違う外国人への理解は一般的には難しい。
例えば、両親のどちらかが外国人で、その子どもとして日本に生まれ育った方も
国内の一部の社会では外国人として扱われる等、外国人という定義は幅広く、私は今でも疑問に感じている。
浜松市は、外国人が人口の3%とマイノリティではあるが、全国的にみても外国人が多い街。
多くの外国人は製造業を中心とした企業で就労しているが、雇用条件は安定しておらず、
日本と母国を行き来する人も少なくはない。
浜松市は、日本人と外国人、共に誰もが安心して暮らせる、世界に開かれた街づくりを推進している。
今回開かれた『第3回はままつグローバルフェア』(主催:はままつ国際理解教育ネット/
公益財団法人 浜松国際交流協会(HICE)/ 独立行政法人 国際協力機構中部国際センター(JICA中部)/
公益財団法人 浜松市文化振興財団(クリエート))は浜松市とその近隣に居住する外国人への理解を目的とした、
国際交流と多文化理解の2つを柱としている。
イベント当日には延べ4,000人近い来場が有り、外国人との交流の他、多文化理解に向けた様々な企画が行われた。
▲国際理解教育ワークショップ『他人の幸せは自分の幸せ?宝くじが500億円当たりました!』
まず紹介したいのは、国際理解教育ワークショップ。各講座30名の定員をオーバーする等、とても人気があった。
最大の魅力は分かりやすさであり、参加者には専門的な知識は一切必要ない。
『他人の幸せは自分の幸せ?宝くじが500億円当たりました!』
このワークショップでは、大金を手にした自分自身が、それをどのように使い、
国際協力して行くか、をグループで考える。
まず実際に起きている問題を洗い出し、それぞれ優先順位を付ける。その後、解決には何が必要か?を分析する。
お金が必要なものから、人員が必要なものまで、細かく分けられていく。
▲世代を超えた様々な意見交換が行われていた
貧困率を下げる為の国際協力を考えたグループは、テレビや新聞等で目にした水質問題に触れ、
インフラの整備から期待される保健衛生面の安定と、今後の産業の発展をプレゼンテーション。
他のグループメンバーも問題解決に向けた解決策を積極的に発言し、幅広い年代が意見を交わしていた。
▲一見、子ども向けに見えるワークショップも親子で国際理解が出来る仕組みが出来ている
国際理解教育ワークショップの魅力は年代、性別等、一切関係なく参加ができ、参加者それぞれの発見が出来る事。
次に『世界とのつながり 私達のお弁当の秘密は』では、フェルトで出来た、ごはんやおかず等の食材を
自分自身で作り、食材のルーツや、その原産地の現状を理解して行く。食育に関心のある親子での参加が目立つ。
「地産地消には興味があり、お弁当の食材選びには気を遣っていたつもりですが、
実際、子どもが好きなものは海外から輸入されているものが多いのには正直驚きました。」
と話す親子で浜松市内から参加した母親は、食の安全以上に、原産地での国際情勢に驚きを隠せない。
例えばバナナ一つとってみても、原産地の東南アジアでは過酷な労働条件や、価格競争による貧困等、
日本国内で手頃な価格で食べられる裏では、隠れた真実が存在する。
▲お弁当の食材が何処から来ているか、考えた事が有りますか?
「食べ物は教材として、とても分かりやすく、身近なものです。世界を聞く・見る・食べる。
毎日の食事の中で、世界中で何が起きており、今なぜ自分が食べられるのか?を考える、
きっかけとなる事を望んでいます。」(講師の木下美保さん)
身近な題材を使い、参加者を決して飽きさせないプログラムは、親子連れに大好評だった。
▲3,000円で楽しむ浜松市を考える学生の皆さん。学校よりも楽しそう(?)
最後に『異文化理解 異文化理解って何だろう?』のワークショップを覗いてみる。
このワークショップには国籍に関係なく、多くの学生が参加しており、国と国との違いや地域の違い、学校、
クラスを超えた仲間で、コミュニケーションを取りながら、浜松市の楽しみ方を自身でプロデュースする。
文化やマナーの違い等、学生達はお互いの文化を尊重し、1人のコンシェルジェとして浜松市を案内する。
新たな発見の他、文化の違いから生まれる価値観の変化から「浜松が好きになった!」と話す学生もいた。
▲イベント当日は延べ3,000人以上の方が来場し会場は賑わった
このワークショップの講師を務めた方々は、全てボランティアとして参加。
普段は社会人や学生として生活をし、プライベートでは異文化理解を広める普及活動をしている。
『はままつ国際理解教育ネット』の代表を務める中澤純一(なかざわ じゅんいち)さんも普段は中学校の教諭を務める。
「団体として活動するとなると、そこには予算が必要です。私達には仕事や家庭がありますが、出来る事は有ります。
自分達が出来る事をやる。このスタンスですから、そこにはお金は必要ありません。」(中澤さん)
中学校で社会と技術を教える中澤さんは、自身の専門をワークショップに取り混ぜ、学生達にも異文化理解をすすめる。
「私の生徒もたくさん参加しています。授業では伝わらない部分をここで感じてもらうのが私の狙いです。」
中澤さんの他、多くのボランティアの活動は、また紹介させて貰おう。
▲外国にルーツを持つ彼女達は自分たちの経験を語ってくれた
今回のグローバルフェアーでは
『外国にルーツを持つ若者のトークイベント×音楽ライブ〜可能性へ向けてのRESTART(再出発)〜』
も開かれた。
ブラジル、フィリピン、ペルー、ベトナムにルーツを持つ大学生や社会人が日本で直面した学校・習慣・
言葉の違い・アイデンティティ等、様々な困難を乗り越えて来た経験や思いを語ってくれた。
外国人が多く就業している地元企業の担当者が多く来場する中、ありのままの生の声を聞ける機会とあって、
本イベントでの注目度は1番高く、トークイベント後、彼女達から直接話しを聞く事が出来た。
小川さん(写真下段左)は、父親やがブラジル人、母親が日系ブラジル人の日系3世として生まれ、
5歳の時に浜松に移り住む。中学まで偏見によるいじめを受け、周りの目はいつも「外国人」扱いだったと言う。
「小中学校の時に、日本語分かりますか?と言われるのが屈辱でした。日本人ではないのなら、
外国人として何かをしようと、強く考える様になったのです。」
小川さんは 猛勉強の末、全日制の高校に進学、その後、常葉学園を卒業。
現在は社会人として活躍している。
「色褪せた人生がカラフルに変わる」と話す、阿部さん(写真下段右)は自身のルーツに不満を持ち、
13歳の時に家出を経験。フィリピンと日本の両親を持つ彼女は家族から離れ、
浜松市内に住む米国人牧師の家庭で6年間住ませてもらう。そこで彼女はある事に気が付く。
「個人のカラーはそれぞれ違う。お互いのカラーを認め、受け入れる事により、人生がカラフルになるんだ。」
イベント当日は阿部さんのお父さんも来場。「スピーチを見に来てくれた!」と彼女は喜んでいた。
重井さん(写真上段右)は他の人達と少し状況が違う。
幼い頃にブラジルに移住した日本人の父親とブラジル人の母親を持つ。
7歳で来日したものの、家庭ではポルトガル語、外では日本語の生活を過ごしてきた。
小中高とブラジル人の友人が少なく、日本人ばかりに囲まれて育った為、
自身のアイデンティティについて悩む事が多かった。
「私を見て、ブラジル人は『日本人』と言い、日本人は『ブラジル人』と呼ぶ。私はどっちなんだって?」
大学で英語を学ぶ彼女は、外国人とコミュニケーションが取れる様になった事で、
自身のアイデンティティを、もう一度見つめ直す事が出来たと話す。
宮城さん(写真左)は今までの屈辱を全て力に変えて来た。
「小中と社会と国語の授業は日本語が分からないので別室。通信簿の国語は『・』(評価出来ない)で悔しかった」
父親は日本人、母親は日系ブラジル人。仕事で日本に戻った父を追って、日本に来日したのは2005年の事。
地元学校には外国人は2人しかおらず、言葉の壁は高かった。
通常の学校とブラジル人学校両方に通い、努力の結果、奨学金を獲得。
現在は静岡文化芸術大学で学ぶ。
鈴木さん(写真右)も宮城さんと同じ静岡文化芸術大学に通う現役の大学生。
「センター試験から一般入試で入学した外国人は私と宮城さんだけなんです!」と話す鈴木さんは外国語を得意とする。
曽祖父母がブラジルへ移民し日系4世になる彼女は、中学校に入学するまで日本とブラジルを行き来する。
小学校低学年は日本で過ごし、高学年はブラジル。その後再来日した小学校6年生の時にはブラジル人学校に入学。
ポルトガル語での教育を長年受けていた彼女に、転機が訪れたのは中学校2年生の3学期の事。
再度、日本の中学校に編入した彼女は、自分が漢字の読み書きが出来ない事に気が付く。
「英語は得意でしたから、皆に負けないスピーチを頑張りました」
英語スピーチコンテストで県大会に出場出来た事が自信となり、その後、日本語の勉強に励んだと振り返る。
外国にルーツがあるものの、育って来た環境は全て異なる。
終始笑顔で話してくれた彼女達からは、逆境をはねのけて来たパワーを感じる事が出来た。
▲JICAのテレビ電話で現地と直接会話が出来るブース
会場にはJICA(独立行政法人 国際協力機構)のボランティア隊員とテレビ電話で直接会話の出来るブースもあり、
国際協力に興味のある人達が、本音を聞き出そうと終日賑わっていた。
中でも、昨年までこのはままつグローバルフェアをサポートしていた方が、ウガンダからテレビ電話を通じ、
活動報告があった場面では、多くの方がメモを取る等、若者の国際協力への関心がうかがえた。
▲国際理解はもちろん、様々な国際交流が会場のあちらこちらで見られた
「1年毎に規模は大きくなっています。きっかけは多文化共生の為の教材を作りたい。そこから始まりました。
浜松市内には外国人向けの日本語教室や、子ども向けの教育支援等のサポートは多いのですが、
受け入れる側、日本人社会側の理解を促すものが少ないのでは?という意見から始まりました。」
このイベントを統括する、公益財団法人 浜松国際交流協会(HICE)の多文化共生コーディネーター、
松岡真理恵(まつおか まりえ)さんは国際交流に関心ある西部地区の人たちを、
どの様に国際理解や多文化共生にに結びつけるかが、今後のキーになると話す。
多文化共生の為の教材の中では、3つの柱でプログラムを開発した。
外国にルーツを持つ人を対象とした自身を知るプログラムに始まり、 外国人を受け入れる側の日本人が、
立場を逆転して学校生活を体験するプログラム。そして、地域との関わり方を防災シミュレーション
で体験する等、静岡県の特色が活かされている。
外見や言語、生活習慣や文化で外国人と判断していた時代は、もう時代遅れとなって来ている。
単純に外国人と仲良くする事や交流する事が目的ではなく、受け入れ側の日本人の外国人に対する偏見が無くなり、
考え方が変わって行く事に今後も期待したい。
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※この記事は2013年3月に公開しました。
『公益財団法人 浜松国際交流協会(HICE)浜松市多文化共生センター』
http://www.hi-hice.jp/index.php